広島市中心のファッション店・大型店・地元老舗が共存共有する商店街|広島金座街商店街

金座街商店街は、広島市の中心に位置し、
ファッション店・大型店と地元老舗が共存共有する商店街です。

トップ > 商店街概要

プロフィール

商店街概要

名称広島金座街商店街振興組合
代表者名理事長 大井克元
事務局所在地広島市中区本通1番6号金座街FSビル4F
TEL 082-247-2664 / FAX 082-247-2669
設立昭和26年(協同組合)同49年(振興組合・改組)
組合員数47名
役員理事11名 監事2名

商店街の沿革

昭和

昭和4年(1929)●金座街 発足
金座街の名前の由来
「東京の銀座を超える街にしよう」との意気込みから、堀川町のコドモ堂書店主三好氏等によって、名づけられたもの。その頃、金座街一帯は、市の中心街を占める区域として、近代化を要請されていたが、当初から「金座街」を名乗るのは抵抗があったらしく、最初は「三栄会」と呼ばれ、やがて「中央会」となり、昭和八年ごろになって、ようやく「金座街」という名前が定着してきた。
●広島市で初の百貨店「福屋」が開業
昭和12年(1937)賑やかな福屋界隈を描いた絵はがき
昭和13年(1938)●福屋新館開店 
見上げるような八階建ての建物は、当時、広島唯一の高層ビルとして珍しく「白亜の殿堂」と呼ばれた。屋上には、子ども用滑り台が設置されており、見晴らしは素晴らしく、開店以来、多くの人たちで賑わった。
●キリンビアホール開店。
現パルコの位置120坪に出現した三階建ての店「キリンビアホール」は、広島市民の度肝を抜く超モダンな店。ビールを普及する為、採算を無視した営業のうえ、電気を使った「スキヤキ」も出しており、爆発的な人気店となった。料理人30人、従業員100人くらいの大所帯の店で、広島では桁はずれの店となる。原爆の落ちた昭和二十年八月。あたりは瓦礫の山となるが、中旬には、店頭で戦災復興ビールを売り始めた。冷えていないビールだったが、一日1000人くらい、本通を貫くほどの行列ができる。
昭和21年(1946)金座街商店組合を結成
昭和26年(1951)●金座街商業協同組合設立
思い出の金座街:
「昭和三十一年くらいまで、早朝の金座街では馬を連れて通る人もおり、店の前に馬糞が落ちていることもあった」(「ちぐさ」山本秀典さん談)

※夜の金座街。この頃は夜10時まで営業
昭和32年(1957)●「ハイロー会」2世経営者の親睦会発足
「高く、低く」世代を広く親睦を深める会ということで発足。これがのちの青年部の前身となる。
※金座街商店組合、ひろしま祭りに参加。(仮装行列・清水次郎長)
昭和32〜34年(1957〜1959)●ひろしま祭り(1951〜1959)
戦後の広島の街を賑やかにするために、金座街で「ひろしま祭り」が始まる。昭和三十三年の「ひろしま祭り」では、広島城天守閣復元工事の竣工を記念して、金座街の各店主が清水の次郎長や忠臣蔵の仮装行列で金座街を練り歩いた。「広島音頭」が出来たのもこの頃。
思い出の金座街:
年末十一月に行われる「えびす講」も特に賑わい、あまりの人の多さに金座街を一方通行でしか歩けないくらいの人出があった。当時、冬支度の大売出しとして一年に一度の買い物に、県北からわざわざ足を運ぶ人も多かった。川野ふとん店では冬物の布団が、わかさや呉服店では、はんてん(綿入れ)が飛ぶように売れた。辻山宝石店では、腕時計の皮ベルトや目覚まし時計がよく売れ、店頭ではお客様に目覚ましの音を鳴らしてみせ、賑わっていた。
昭和34年(1959)●七夕まつり始まる
仙台の祭りを参考に、各店の前に七夕飾りを吊るすようになる。どの店の飾りがいいか、コンテストで投票され、入賞すると金一封がなされていた。それぞれの店の個性を出して毎年お客様にお店のアピールをする、豪華で風情のある祭りだった。
昭和35年(1960)八丁堀界隈から紙屋町にかけての電車通り風景
昭和36年(1961)●アーケード新設
本通に続き、金座街もアーケードを作る。アーケードができたことによって、通り全体のイメージが随分明るくなった。雨の日でも傘をささずに買い物ができるのは、当時は画期的だった。
昭和43年(1968)●カラー舗装 敷設
それまでは、真っ黒のアスファルトだったものが、カラー舗装(ベージュとローズのような色)のテラゾー(大理石チップとセメントまたはエポキシをバインダーとして固めたもの)に代わったため、明るく華やかになり、他の商店街との差別化になった。が、表面がつるつるしていたため、雨の日にはすべる人も続出。
昭和45年(1970)●セントラルプラザ計画(2月)
共同ブロックをたてて商店を一つのビル化し、一階は店舗、上はマンションにして、二階にも通路をつけるという計画があったが、未完成に終わる。
昭和49年(1974)●商店街振興組合に改組、広島金座街商店街振興組合を設立
昭和50年(1975)●カープ初優勝
金座街パレードとセール。初優勝に歓喜した広島の街。流川で無料の酒が振る舞われ、優勝に喜んで酔った人たちが、金座街にも繰り出した。本通と金座街では、優勝を祝し、市民にちょうちんを手渡し、市民球場から本通、金座街にむけてちょうちん行列が行われた。もちろん金座街大売出しも開催された。
思い出の金座街:
「酒に酔って衝動買いをする人たちも多く、後日、その商品を持って奥さんが返品にくるようなことも5〜6件あった」(「平和堂キューティー」矢野新治さん談)「店の赤い帽子がすべて売れたのを覚えている。それからしばらく1週間くらいはとにかくカープの帽子はもちろん、赤い帽子がずっと売れ続けていた」(「スポーツセンター」長崎宏芳さん談)
昭和52年(1977)●アーケード大改修
●フラワーフェスティバル始まる
思い出の金座街:
「『フラワーフェスティバル』の開催については事前に聞いていたが、それがどんなものか想像もできず、いつも通りの営業をしていた。が、『フラワーフェスティバル』開催日から3日間、朝の開店時間から閉店時間まで、ずっとお店にお客様が満員で、想定外の来客にびっくりだった」(「ちぐさ」山本秀典さん談)
昭和54年(1979)●九月二十九日五十周年を祝う式典
金座街のシンボルにと送られた掛け時計の贈呈式や、斗樽が入場しての鏡割り。通行人に樽酒が振る舞われた後は、福屋の9階ファミリーレストランで、記念祝賀会が催された。
●年史制作
昭和58年(1983)●青年部発足
初代会長に「岡仙」の岡本彩見さんが就任。小さなときから一緒に商店街で育ってきた幼なじみも多く、チームワークのよさは抜群だった。
昭和61年(1986)●青年部で現状と明日を考える会(広島市の後継者育成事業)
他の商店街と差別化し、楽しんでショッピングをしていただけるようにソフトとハード面をどのようにするべきかを考える会。修道大学の先生などを講師として招き、勉強会が毎週行われていた。高級感のある重厚な街並み、イギリス調の商店街を目指す。
昭和62年(1987)●「GOGO広島春まつり」(三月)
●「ざ・縁日」(七月)
従来の「販促型イベント」ではなく、「コミュニティー型イベント」、つまり商店街を生活空間として捉え、金座街商店街を市民が憩うコミュニティー広場とし、来街者が楽しめるイベントを目的として始まる。ジャズダンスを踊りながらのファッションショーや、昔懐かしい駄菓子屋や屋台などで、日本の祭りを演出。
思い出の金座街:
「わかさや呉服店」の若狭利康さんが商店街の店主の方を対象に、毎週定期的に「コンピューター教室」を始める。コンピューターに親しんでもらうことからスタートし、給与計算、在庫管理、顧客管理など、いかに実務に応用できるかということを目指したもの。当時のソフトは「一太郎」や「ロータス123」など。
昭和63年(1988)●商店街で外国人講師による英会話教室を開催(三月)
マツダのフォード提携などにより、広島にも外国人生活者が増えたことに対応するためでもあり、商店街としては広島で初の試みで、マスコミの注目度も高く、たびたび取材等で取り上げられる。

平成

平成元年(1989)●六十周年イベント
ミス・ミセス金座街コンテスト開催。優勝者には景品に特派員としてヨーロッパ旅行が贈られ、一年間金座街のイベントで活躍してもらった。その他、豪華懸賞ではイギリスの自動車「ミニクーパー」をプレゼント。
平成3年(1991 )●広島市中央部駐車場システムできる
市中央部での車での来街者への便宜を図るために共通駐車券発行サービスを開始。このシステムは、加盟駐車場に駐車したお客様が加盟店でお買い物をされた時に、お買い上げ金額に応じて共通駐車券をお渡しするもの。目安として物販では三千円、飲食では二千円のお買い上げに応じ、30分駐車券(160円相当)を一枚とし、4枚を使用限度としていた。
平成5年(1993)●「ざ・らすと縁日」
これまでの「ざ・縁日」の集大成として、広島アジア大会とも絡め、広大のアジア諸国の留学生の方々が参加。「アジア屋台サミット」と銘打って、各国の民族料理の屋台を金座街の真ん中に出店。お買い物をされたお客様に料理の無料券をプレゼント、各国の料理を食べていただき、大いに賑わった。
平成6年(1994)●パルコ開業(四月八日)
キリンビアホール跡へパルコが開業。デパートとは違うテナントビルのパルコは、お客様の動向も変わり、金座街も客層が少し若返りした。
●アーケードリニューアルイベント(四月十六日(土)〜十七日(日))
「光と花のアトリウム」というテーマで、アーケードがリニューアル。「蝶が変身するごとく、アーケードも生き物のように、季節に合わせて変身していけるよう」というコンセプト。建物の高層化に伴い、上から見たアーケードの景観を考えて素材にガラスを使用し、クリスタルアーケードに生まれ変わった。高さも、従来の2階から3階へと高くなり、広く開放感に満ちていた。夜はアーケード天井にイルミネーションを飾り、個性豊かな商店街となる。オープニングイベントの2日間では、ダンスパレードが行われ、パレードの通過後、のべ約900人のお客様にシャンパンが振る舞われ、2000人分の飲み物やクッキーが用意された。アーケードの点灯式では、2000個の色とりどりの風船をアーケード上から一斉に落下させ、その風船の中に当たりくじが入れてあり、お客様が路上で次々と風船をパンパン割って当たりくじを探して、福屋前のメインステージで景品と交換された。2000個の風船が一瞬にして割られて終わったという。
●金座街のロゴが誕生
ブルーと金色をキーカラーに。テーマ曲も作られた。
平成8年(1996)●カラー舗装 大改修
舗装前には、中国へ視察に行き、中国の石を持ってきて舗装に使われた。これによって、それまで雨の日にすべることも改善された。石の間にアクセントとしていれてある陶板が、熱や雨、人の重みによって、微妙なずれを生じ、次々と割れていくような失敗談もあった。
「景観づくり大賞」の「まちなみ景観の部」で知事賞を受賞(五月)
広島県より、広島市中央部に位置する都市商店街の一つとして、都市アメニティの向上に努めるとともに、広島の個性豊かな「街の顔」作りに高く貢献しているという評価をされ受賞。
平成11年(1999)七十周年イベント
広島電鉄よりドイツ・ドルトムント製の電車を貸しきり、車内のテーブルで、お客様が食事を楽しむというイベントを行う。公募の抽選で40名くらいのお客様を招待。広島駅から乗り込み、ひろでん本社前へ、そこからさらに己斐まで行き、また広島駅まで戻って来た。
平成18年(2006)●ファンファンクラブ結成
金座街のファンを作ろうということで、各店に申し込み用紙を置き、会員を募る。毎月、応募してくださったお客様に抽選で映画のチケットや花の鉢などをプレゼント。
平成19年(2007)金座街監視カメラ設置
夜中でも明るく安心・安全な通りを目指して、国と市の補助金で設置。
平成20年(2008)●アーケードメンテナンス(2008〜2009)
国と市の補助金でアーケードのフィルムを張り替え、リフレッシュリニューアル。
平成22年(2010)●八十周年イベント(一月二十三日(土))
晴れ渡った冬の日の朝から、「感謝」と「地域密着」を合言葉に金座街80周年をお祝いするイベントが開催された。モデルと一般公募モデルがコラボレーションしたパルコ裏アリスガーデンでのファッションショー、チャリティオークション、街全体を使って抽選付のクイズラリーやグルメ、福屋前ステージでのタレントのトークショー、グアム旅行や、国内旅行、その他豪華景品が当たる公開抽選会などが次々と行われる。多くの賑やかな買い物客の声が溢れ、金座街組合員スタッフはイベントの手配に一日中走り回った。
平成27年(2015)●カラー舗装改修・アーケード照明のLED化
平成8年に改修されたカラー舗装は、経年劣化が目立ち、個別補修も追いつかなくなっており、また、アーケード照明も20年を経て劣化が目立った。
「平成26年度 商店街まちづくり事業」に応募し、国、市の補助を受けて「カラー舗装の全面改修並びにアーケード照明のLED化」事業を行い 同年3月に完成した。
平成28年(2016)●広島東洋カープ25年ぶりの優勝
広島東洋カープ25年振りの優勝を受け「商店街を赤く染めよう」プロジェクトにより、アーケード内全面を赤く装飾し、全国紙の新聞やテレビに紹介された。

商店街の立地

広島市の中心に位置し、新天地と堀川町に挟まれた東西筋(84m・幅員l0m)と、本通、立町と堀川町に挟まれた南北筋(l79m・幅員llm)でほ成されるL字型の商店街。北に福屋、南にパルコの2つの大型店と共存し、西は本通商店街と接続、東には流川という中・四国一の歓楽街と2百貨店を配している。八丁堀という交通拠点とも接している。

商店街の特徴

中・四国の中核都市である広島市の顔として、本通商店街と並び広島を代表する広域型の商店街である。店舗は買回り型のファッション店が主でナショナルチェーン店、大型店と、地元の老舗が共存共栄している。組合活動としては、中央部商店街振興組合連合会と連係し様々なイベント等を行う積極的な商店街と言える。

商店街近代化事業

昭和61年広島市後継者育成事業 青年部を対象にl年間行なわれた勉強会。青年部の意識改革に貢献。
昭和62年商店街診断 広島市による実態調査。その勧告に従って次年度に各種委員会を設置。
昭和63年各種委員会設置 「近代化総合ビジョン策定委員会」他、3委員会を設置、協議する。>
平成元年商店街近代化構想策定事業 20年後の金座街の在るベき姿を模索。国と県からの補助事業。
平成3年中小商業活性化推進事業 元年度の構想策定を元に具体的なハード改造のプランを検討。統括した組織として「街づくり委員会」設置。
平成4年アーケード建設委員会設置 3年度のプランを元に具体的なアーケードの掛け替えを検討。
平成6年クリスタルアーケード完成 「光と花のアトリウム」としてガラスを使った新アーケードが完成。

カラー舗装準備委員会設置。アーケードのコンセプトに沿い、しかも堅守なカラー舗装の再整備を検討
平成8年新カラー舗装完成。アーケードとマッチし堅守さとセラミック板などの美しさを兼ね備えた新カラー舗装が完成

年間共同事業

1月新春アーケード装飾
師子舞を実施
6月ゆかたできん祭 おそうじ隊参加
8月6日とうろう流しに参加
10月ハロウィンイベントに協賛
11月大イノコ祭りに協賛
えべっさんのおそうじ隊に参加
12月クリスマスと歳末を演出するアーケード装飾
広島市ライトアップ事業に協賛